第5回市民フォーラム講演記録 第2部

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(1)世界のRCEの事例について
 ○パネリスト:国際連合大学高等研究所 望月 要子氏

今年の6月、名古屋で開催された国際会議で、RCE第1郡が認定されました。
仙台広域圏地域(日本)、岡山地域(日本)、バルセロナ地域(スペイン)、ペナン地域(マレイシア)、太平洋諸島地域(フィジー)、ライン・ミューズ地域(オランダ、ベルギー、ドイツ)、トロント地域(カナダ)の7地域です。

この中からいくつかの事例を紹介します。

■岡山地域
まず、岡山RCEでは、重点取り組み組織・活動の指定を行っています。岡山理科大学、NPO、環境だけでない団体や企業なども入っています。自治体や教育委員会も指定されています。これらの指定組織が、講師紹介・派遣、教材提供、教育の相談に乗るなどの支援を行っています。
岡山は公民館活動が活発なところで、公民館区の中学生をリーダーとして、水辺の環境研究などに取り組んでいます。大人のボランティアにささえられ、小学生を指導しながら進めることなどを通し、地域のきずなをとりもどして行きます。

■太平洋諸島地域
南太平洋大学がフィジーを中心に、ネットワークを形成しています。そのネットワークをベースに地域拠点をつくっている。途上国であること、地球温暖化の影響を受けやすい国々であること、そのような問題に加え、人口の過密化、心臓疾患・アルコール依存症といった健康の問題を抱えています。エコシステムの容量不足、伝統的なくらしの中で教育をどう広げるかが課題です。長老者、世襲で社会的地位の高い人がいるため、そういう人を通じてESDを広げていくことも重要な考慮点のひとつです。太平洋諸島地域RCEでは、以上のような課題解決のための南太平洋大学学内連携の強化、学部・大学院カリキュラム開発、オンライン研修コースの開発などに取り組んで行きます。

■ライン・ミューズ地域
オランダのオープン大学が中心となり、3つの国7つの大学、多国籍企業、中小企業、自治体などのネットワーク化をはかります。ヨーロッパの都市部という環境の中でESDをすすめていくのが特徴で、そのための大学院プログラム開発に取り組みます。

■トロント
2020年までに、人口300万人から600万人になるという予測が立てられている、カナダ最大の多文化都市、マルチ文化都市であり、移民の大量流入による、子どもの教育のための学校や、住居、雇用の問題、さらにはごみの問題などの課題に直面しています。すでに埋め立て地がなくなっており、国境を越えてごみを処理している現状。人口増大にどう対処していくか考えていかなければなりません。国際自然保護連合のメンバーになっているトロント動物園が中核となり、体験学習やワークショップを行います。ヨーク大学や高等教育機関も中核組織に入っていますが、動物園の役割がユニークです。

 

(2)まちづくりの視点から
 ○パネリスト:(有)まちのほこり研究室代表・漫画家 千葉真弓氏

まちのほこり研究室のほこりとはアイデンティティのことであり、「私とはなにか」ということを考えようということだと思います。蔵の郷土館斎理屋敷というところが丸森町にあります。宮城教育大学を卒業してすぐ、そこの仕事を手がけました。文化財が山ほど放置してあり、町の真ん中で、駐車場もないから潰そうかという話が出ていたところでしたが、整理すればもしかすると、いろいろな人にみてもらえるのではないかと思われました。今では県南の展示施設として知られるようになっています。また、平成15年には、合併で消える高清水町の町史に参画させていただきました。まちの歴史は歴史家だけのものではなく、子どもでもみんなが読めるものにしたいということで各章の巻頭を漫画にする仕事です。
そのような私の出発点からの仕事を大きく言うと、みんなの中にあるもやもやしたものを、聞いて、まとめて、みんながわかりやすいように、目に見え、さわれる形を与えて世に出すということ。それが博物館になったり、コンサートになったり、演劇になったり、本になったりするわけです。
さて、そんな私がこのわかりにくいESDという言葉「持続可能な未来を創るために・・・」を翻訳するなら、「誰の未来も横取りしないで健やかに生きるということ」ではないでしょうか。「それは自分の未来も横取りされない」ということです。
今回私の仕事は「地域づくり」ということで紹介されましたが、普段、地域づくりという言葉は使っていません。地域は作れるものではないと思うからです。地域のかたちは、作るものではなく、結果ではないかと思います。むしろ「地域活性化」という言葉を使います。しかし、地域活性化というと経済活性化に特化して考えられがちです。変ったものをつくり、観光客に来てもらい、お金を落としてもらうということがよく言われますが、それだと見世物になってしまう。ごく小さい他の地域との差異を促成栽培して、やりすぎて「変わりもの比べ」になることを危惧しています。
地域の歴史に政宗のような人がいればいいが、うちのところにはだれもいない、という話をよく聞きますね。ついビッグネームに頼るという発想になりがちです、もっと地道な活性化というものはないのだろうかというのがいつもの私の悩みです。
さて、こんなことを考えながら仕事をしていると、「個性化教育」という言葉にひっかかりを感じています。
個性というものも、作るものではなく、結果ではないのでしょうか。ひと(他人)と同じことをしてもひと違うといことが個性であり、他人と違うところを無理やり伸ばしたら、ただの変わり者になってしまうのではないでしょうか。それを極端にすると、がんばっても普通以上になれないなら、ルールを破ることで普通をはずれる、「悪いことしてでも普通ではなくなりたい」という考えだって生まれるでしょう。「普通であってはいけない」という妙な個性化教育がどこかで始まっているのではないかという気がしています。人格の中に特別なピークを探し、促成栽培するのでなく、普通の人の中に隠れているものを見つける細やかな目をもつことが個性化教育ではないかと思いたいのですが。
気になることのもうひとつに、スペシャリストの育成ということもあります。政治、音楽のスペシャリスト、などスペシャリストに頼む方が効率がいいこともあります。しかし、効率がいい分だけ、間違った時の振れ幅が大きいときがあります。地道に行けばターンできたのに、高速道路ではなかなかそうはいかないというように。
V字で飛ぶ渡り鳥のトップは、交代しながら飛んでいるとのことです。その方がリーダーがだめになったときでも群れは生き残れるからです。そう考えると、究極のスペシャリストはウルトラマンのようなもので、最後の3分だけいればいい。日頃ウルトラマンがいるとじゃまでしょうがない。スペシャリストは必要だが、むしろ一人ひとりが生きることのこまごまとしたことを放棄しないことが大切なのではないでしょうか。それが個性化とか、地域活性化ということを考え直すことではないかと思います。
はじめにお話ししましたが、高清水町が合併して栗原市になる直前に全戸配付の町史を作るのに、各章の巻頭を劇画で飾るという仕事をいただきました。地域の歴史は好事家のものではなく、子どもも大人も自分のレベルで読み取ってほしいからということでした。縄文時代の、イノシシが倒れているシーンを描くと、致命傷の位置が違うと言われて矢の角度などを描き直しさせられる。矢羽根があったかどうかは発掘資料からはわからないので矢羽根の部分は描かないとか、石器を砕く角度が違うといわれ、目の前で石器を作ってもらいながら絵を描くということをしました。子どもに語るとき、大人は真剣にならずにはいられません。
地域活性化と教育の似ていることは、将来を信じ、未来を信じるということだと思います。自分が死んでからでもさらに続くものがあり、それに責任を感じて生きるということ。だから自分で考え、自分で生きることを放棄しない。それを実践し続けるということなのかと思います。
専門家は必要と言いましたが、地域活性化の時代も変ってきています。景気の良い時代の「ふるさと創生」から始まりましたが、だんだんお金がなくなってきて、自治体が地域の人たちに仕事をお願いすることが増えてきています。ボランティアと呼ばれます。すると効率が悪くなります。効率が悪くなることは決して悪いことではない、みんなが自分のことだと思い責任をとらなければなくなるからです。そこまではいいことですが、作品展と同じで、「自分の作品だし精一杯やったのだから出来が悪くてもいいや」という心が入るときがある。
地域活性化のプロにできないこと、地域の人にしかできないことは、その地域で生き続けること。それは誰にも代わってもらえない。だから、一生懸命やったから出来が悪くてもいいやという逃げはないのだと、自分自身も仙台に生きながら考えようとしています。
それでは、何のためのESDなのでしょうか。
絶望や怒りはすぐに伝播するものです。過去に根ざした目の前の、現在の痛みだからです。あの時のあれが悪かったとかいうことは、非常に人にうつしやすいものです。しかし、未来や希望はまだ目の前の現実としては存在しないものなので、概念を共有するのが難しい。自分が死んだあとの未来像を共有するためには、山ほど語り合わなければならないし、現状も動機も刻々と変化していくため、常に書き換え更新していかなければならないのです。
ニーダムのいう、変えられないものをみとめ、変えなくてはいけないものを変える勇気、これをもち続けるにはエネルギーと手間がいる。それが教育なのではないでしょうか。そのために必要になるのは現実的な肉体感ではないでしょうか。バーチャルな情報があふれ、現実感がなくなってきて、エネルギー代謝が体の中で起きているということもわからなくなっている。自分かここにいるということが認知できなくなってしまうのでは。
さらにもうひとつ、未来を狭くしてしまう可能性が高いのが、子どもに対するディベート教育だと思います。どちらが正しいかという二つのうち一つを選ぶと、選択の可能性が少なくなるのは当然のことです。お互いが少しずつ譲歩することで新しい可能性を生じさせることができます。なぜ小学校でディベート教育をしなければならないのだろうかと思います。
私は美術を専攻していましたが、ポスターカラーの白と黒を混ぜると化学反応で緑などが出てくることがあります。メーカーによって、赤が出てくることも。白か黒かでなく、無限のグレーでもなく、その中に緑や赤が出てくることさえあるディスカッションを肯定したいと思うのです。いま、教育とは何かと考えると、自分で思考することを放棄しない考える体力を養うことでもあり、相手がいるということを認め、ディスカッションから新しい花を咲かせることが教育の中から生まれればいいと思っています。

 

(3)子育て・子育ち支援の視点から
 ○パネリスト:NPO法人冒険あそび場―せんだい・みやぎネットワーク代表理事 髙橋 悦子氏

正直、今日の今まで、ESDなどという言葉は聞いたこともなく、私たちの活動がそこにつながるのだろうか、という迷いがずっとありました。しかし、皆さんのお話しをお聞きし、なんだそういうことなのかと見えてきました。
私は19年前に、住んでいた地域の中にあった台原森林公園で冒険あそび場活動を始めました。地下鉄南北線が開通しようとしていた頃で、近くに公園があるのに、なぜ上手に使えないのだろうと考えていました。学校からのチラシに「子どもだけで森林公園に遊びに行かせないでください」とありましたが、そのたった一枚のチラシが私たちをこの活動に結びつけたのです。
活動を始めると「子ども集めて大将になって、何面白いんだ」と言われたりもしました。でも、続けているうちに、時代が変わり、今、子どもが育つ環境が、決して方向とはいえません。保障すべきことが、間違った形の保障になってしまっています。年月が経つと、「あなたたちはすごい、こういう状況が来るということをわかっていてそれを危惧して始めたのですね」なんて、ついこそばゆいことをいわれるようになりました。
「仙台冒険あそび場」は自分の責任で自由に遊ぶということをテーマにしています。これは言うのは簡単ですが、放任という言葉と背中合わせになっているもので、今も私たちの中では、ずっしりと重いものになっています。
冒険あそび場活動では、遊ぶということを柱にしながらボランティアのプレイリーダーが子どもたちに関わってきました。決して「遊ばせ屋」ではありません。
なぜ遊びかと言うと、子どもにとって、遊びは生活そのものなのです。点数や通信簿も関係ない。お手伝いでも一言褒められたりすると、それが遊びになってしまうのです。遊びながら、自分が認められていくという状況がいつでも生まれてくるのです。
遊びをキーワードにしながら、19年目にして、若林区の海岸公園冒険広場の管理を受託し、「あそび場」をやっと常設できることになりました。公園という環境を使い、遊びを通して人と出会い、物と、場所と出会うというのが課題です。プレイリーダーを3人雇用し5人で運営に当っています。火も使えるし、いろいろなチャレンジができます。
「みんなで広げる」「人が出会う、つながる」「みんなで考え、みんなでつくる」という思いの中で遊び場をやってきましたが、私たちには今もなお大きな課題があります。めざす遊び場は、学校から帰ったら自転車で行けるくらいの場所にあり、公園に行こうね、原っぱに行こうねというのが、本当の地域における遊び場づくりだと思います。それが仙台の中で空き地がなくなり群れることができなくなってきました。それなら公園を使えばいいかなという思いで動き出したのがもとですが、今も、地域の人たちに見守られながら作られていく遊び場づくりということを忘れてはいません。
もし地域に遊び場ができたらプレイリーダーには誰がなるの?と言われたりしますが、昔「暗くなるから早く帰れ、危ないぞ」といってくれた隣の「おんちゃん」だったり「おばちゃん」だったり、そういう地域の人たちに守られて地域の中で遊びができたらいいなと思います。遊びを通じて体験していくということが大変大事だと思うからです。
当時、「現在の子どもが育つ環境がどうなのか」など勉強するよりは、「まず動いてしまおう」といって台原森林公園で4人で冒険遊び場を始めました。子どもの活動というのは長続きしないといわれながら、19年間も続けられたのはなぜなのだろうと振り返ってみると、町内会長さんら地域の人を巻き込んだことだと思います。いろんな役割の人が地域の中にいるということがわかり、相談しながらやってきたことが長続きの秘訣だったのではないでしょうか。「あの人たちは若くて元気で仕事もしていないからできたんだ」ということではなく、仕事をしていても、してなくても、町内会長という役割だからできる、学生だからできるという役割があるということです。「地域間の公平」とか「世代間の公平」ということなのではないでしょうか。一人が全てを網羅するのではなく、小さい力を持ち寄って、自分ができることを見つけ出したり、気付いたりしながら続いてきたんだなと、今日、認識することができて、うれしいと思いました。
冒険広場でひとつの夢を達成したわけですが、ちょっとこの頃の子ども達の状況が違うなということが気になって、今、「わらすこ山学校」を開いています。障がいを持った子どもと健常といわれる子ども合わせて30名、30年前に廃校になった分校を使い、冒険遊び場とは別のリーダーたちを集め、その場所をつくりました。その場所は戦後間もなく引き上げてきた人たちが開拓をした場所です。林業から農業に転じ、さらに酪農に変わりました。23軒あったのが今は9軒です。そのうち3軒は高齢者だけです。若い人は3軒しかいないというのがこの50年の間の変化です。その場所で暮らしている人たちと、県内から子ども達を集めて体験活動をやっています。タイムスケジュールは作らず、限りなく子ども達のそばに寄り添う。生活を共にするという考えで進めています。
子ども達を支えるはずの活動だったのですが、活動によって、閉鎖的だったこの地域そのものが変化しました。生活をするのに十分な要素があるが、贅沢なものは何もないという地域です。牛が生まれるから見に来い、とか、手伝いをして牛乳をもらってくるなどという生活を通し、本当は私たちがお世話するはずだった小さな子ども達が、実は地域をよみがえらせてくれたのです。自然につつまれた時、人ってすごいなと思います。
私たちは、こういう地域にまるごとかかえてもらっていることを感じた時、「子ども達にもらった時間」に感謝しながら、わらすこ山学校の活動を行っています。どうしたら、人と人がつながるのだろう、そのためには自分が見えるようになっていなければならない、そして自分をその場所にゆだねること。隣を見ると誰がいるとか、そんな当たり前のことが「環境」だと教えられています。
教育とは、教えることではない。その場所と時間を共有し、体験を通しながら体の中にそれをストンと落としこめるようなチャンスをつくること。それを大人の私たちは子ども達と共有したいと考えています。
活動を通し見えてきたのは、この世の中には子どもと大人しかいない。子ども達の前に、父母という「肩書き」ではない、大人という名の私たちが「環境」として存在しているのだということを忘れないでいようということ。それが活動の柱になっています。
これからも、子ども達の力をもらいながら、子ども達からもらった時間を大事にして、取り組みを進めていきたいと思います。それぞれの地域の人たちといっしょに、わらすこ山学校のある西と冒険広場のある東をいろんな形でつないで行きたいと思っています。

 

 

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